スペインのシナゴーグ

ヤルカ・スーヴォヴァ―

Spanish_Synagogue

スペインのシナゴーグは1968年に建てられて、プラハのヨゼフォヴで一番新しいシナゴーグになりました。今、プラハのヨゼフォヴはプラハ1区に属していて、旧市街にあります。しかし、1850年までに「ユダヤの街」とか「ユダヤゲットー」と呼ばれています。たくさんのユダヤ人が住んでいましたから。でも、1850年にプラハの一部となり、チェコ人が好きだった皇帝のヨゼフ2世によるとヨゼフォヴという区になりました。19世紀のおわりにヨゼフォヴは再建されて、シナゴーグは少なくなって、古いユダヤの墓地だけが残りました。

スペインのシナゴーグは建築家のヴォイチエフ・イグナーツ・ウルマン(Vojtěch Ignác Ullman)とヨゼフ・ニクラス(Josef Niklas)のプロジェクトによって建てられました。内部の飾りは、建築家アントニーン・バウム(Antonín Baum)とベドジフ・ミンツベルゲル(Bedřich Münzeberger)によるものです。でも、インテリアの飾りは1893年に出来上がりました。


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しかし、スペインのシナゴーグは、どうして「スペインの」と呼ばれているのでしょうか? 多くの人は、このシナゴーグがスペインから来たユダヤ人によって建てられたからだと思いました。スペインのシナゴーグのインテリアの飾りはアラブの飾りに似ていて、スペインの建築はアラブの建築の影響を受けています。それで、多くの人はスペインのシナゴーグはスペインのユダヤ人によって建てられたと思いました。でも、実は当時、ヨーロッパのユダヤのディアスポラ(国際のユダヤ人のコミュニティ)の間でその建築が人気がありましたから、スペインのシナゴーグはこのスタイルで建てられました。

第二次世界大戦のときに、大方のチェコのユダヤ人は強制収容所に送られて、ヨゼフォヴはがらんとなりました。それで、ナチスはスペインのシナゴーグをユダヤ人に取られた物の倉庫に使いました。残念なことに、たくさんのチェコのユダヤ人は戦争のあいだに殺されてしまいました。これらのユダヤ人の私有物はユダヤの博物館のものになりました。

1958年から1959年までスペインのシナゴーグは再建されましたが、70年代に荒れ果てて、閉められました。でも、90年代に再建が始まって、1994年に再開されました。

いま、ユダヤ人はスペインのシナゴーグをユダヤ教の会堂に使います。でも、それだけではなくて、ユダヤの博物館でもあり、普通の人も入ることができます。ユダヤの博物館の観光には300コロナがかかりますが、スペインのシナゴーグは素晴らしい建物だと思います。でも、ユダヤの博物館はスペインのシナゴーグだけではなくて、たくさん他のシナゴーグや、古いユダヤの墓地の観光もできます。

ユダヤの博物館には、40,000点の所蔵品と100,000冊の本があり、それはチェコとモラビアから来た物です。また、チェコのユダヤ人の生活や歴史や重要な事件や有名な人(作家、研究者、政治家など)を紹介しています。

スペインのシナゴーグのあたりに、有名な作家のフランツ・カフカ(Franz Kafka)の公園とモニュメントがあります。

(私はロボライオンに参加しています。)

 

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