ケルトのクリスマス

テレザ・ミツコヴァー

多くの人はクリスマスがキリスト教から来たと思っているけれど、それは本当ではない。クリスマスはキリスト教よりもっと古い祝日である。わたしたちの習慣は、全部上世の時代から来た。

たぶん中東欧の一番古くて知名な民族はケルト人である。ケルト人は自然を敬い、祝日は全部自然に関して行なわれた。ケルト人はクリスマスを知らなかったけれど、冬至を祝した。毎年12月21日に祭が行なわれた。冬至から日がまた長くなり始めて、太陽もまた強くなっていく。

ケルト人にとって一番重要なものは太陽だから、その祝日は太陽のために行なわれた。外から家に丸太を持ちこんで、いろいろな草花、たとえば 宿木、西洋柊、セイヨウキヅタ などを飾って、火をつけた。それは年の明るい半の一番火だった。その習慣はたぶんわたしたちのクリスマスツリーである。非常に似ている習慣はゲルマン人の木の枝や小さい木である。ゲルマン人は家の中に木を飾って、長槍の突先を上の枝に飾って、オーディンの神に供えた。そしてその木はユグドラシルの木を象徴していた。木の枝にいけにえとして人間の躯を吊していたと言われている。でもケルト人は丸太だけを使っていた。

Yule-1  Yule-2

ほかの習慣はたとえば金の豚である。チェコ人は「朝から晩までなにも食べないと、金の豚を見るはずだ」と言われる。ケルト人にとって、豚は太陽の象徴だった。金も太陽を象徴していた。

Yule-4

クリスマスも運勢判断の時間である。家族が集まって、りんごを切って、中がどのような形になっているか見る。ケルト人もりんごや木の実から将来を占った。りんごや木の実の中に星があったら、あの人は来年元気だという意味だった。

Yule-3

女の人はかやぶき屋根に登って、かやを振って、来年結婚するかどうかわかるようになった。

チェコ人はクリスマスの時期、家を美しく飾っている。でもどうしてそうしているのか。実はだれも意味がわかっていない。その習慣もおそらくケルトの時代から来た。ケルト人は家をいろいろな花で飾って、いい幽霊が家に入ることができるようにしていた。

ほかのケルトの習慣は「戦い」だった。戦いの相手は西洋柊の王様と柏木の王様だった。柏木の王様は一年の明るい半分を、西洋柊の王様は一年の暗い半分を象徴していた。冬至の日に柏木の王様はいつも勝たなければならなかった。

今日のクリスマスは唯物的な祝日である。クリスマスといえば人は「プレセント、お金、時間」について考える。でもケルト人にとって冬至やクリスマスは自然に敬愛を表す日だった。私は今日の人々がケルト人のやり方に戻って、クリスマスをお祝いしなければならないと思っている。

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