私の街 Litoměřice

マリエ・ヌンハルドゥトヴァー

私はLitoměřiceを紹介したいと思います。私がこの町を好きな理由は、そこのギムナジウムに行ったこと、それにそこに三年間住んでいたことです。

Litoměřiceは、ボヘミア地方北部、エルベ川とOhře川の合流地点に位置しています。人口はおよそ24000人だから、あまり大きくないと思います。町の周囲にたくさんぶどう園があって、昔から有名なワインの産地です。特にŽernoseckéというワインは人気があります。

図4

町の近くにČeské středohoříという山脈もあります。ハイキングが好きな人に推薦できる場所です。


Litoměřiceはチェコで最も古い町の一つです。この地域は、石器時代から人々が居住していました。町の成立の前にここにプシェミスル朝の城が立っていました。1225年ごろに国王の町の地位を得ました。中世を通じてLitoměřiceは神聖ローマ帝国の重要な取引場所でした。白山(ビーラー・ホラ)の戦いの後, 多くの人は彼らの宗教のために町を離れることを強制されました。その結果としてチェコの住民は減って、ドイツの住民は大多数になりました。

第二次世界大戦の間Litoměřiceは第三帝国の一部でした。町には捕虜の強制収容所がありました。ここの捕虜は近くの丘の中にあった秘密の工場で働くことを強制されました。工場の名前はRichardでした。今はRichardの一部は放射性廃棄物処分場として使われています。図6

図7

Litoměřiceにたくさん観光スポットがあります。たとえばゴシックの城とかバロックの大聖堂とか、「猫」という岩とかKalichという展望台です。

図9

図11

図10

図12

でも最も面白いのは、カレル・ハイネック・マーハの部屋だと思います。カレル・ハイネック・マーハ (1810-1836)は 、チェコのロマン派詩人の中で一番有名な詩人でした。マーハは1836年にLitoměřiceへ引っ越して、法律事務所で働いていました。ある日Litoměřiceで大きい火事が起きました。マーハは火事を消すのを手伝いました。でも彼は火事を消すのに用いられた水を飲んで、コレラで亡くなりました。マーハはLitoměřiceの墓地に葬られました。でも1938年にマーハの遺体はプラハのVyšehradの墓地へ移されました。

Litoměřiceにはたくさん面白い観光スポットがあるので、良い旅行先だと思います。

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私の街 Litoměřice」への1件のフィードバック

  1. 行って見たいですね~!
    私は横浜に住んでいます・・・・・生まれてから73年間!
    まけずに横浜の良いところを整理しておきます。

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