私の街 Šumperk

テレザ・ヴェルカー

Šumperkは、13世紀に成立したそうです。Šumperkという名前はドイツ語のSchönberg(きれいな山)から作られました。Šumperkは災害を何回も受けたと言われています。1513年と1669年に火災が起きて、1591年に洪水が起きたそうです。17世紀にはŠumperkとŠumperkの近隣で魔女狩りが行われていたそうです。魔女狩りとは、魔女または妖術を使う被疑者に対する裁判、あるいは法的手続を経ないで私刑することです。しかし政治的に嫌な人を訴追し、刑罰を加えることもありました。今ŠumperkにおけるGeschaderの家で魔女狩りについての展覧会が行われています。昔その家に魔女狩りの犠牲者が住んでいたと言われているからです。

Geschaderの家

Šumperkで、ひどいことばかりが起きているというわけではありません。Šumperkには美しい建物が何軒もあって、「小さいウィーン」というあだ名も持っています。理由は、19世紀にŠumperkに住んでいた裕福なビジネスマンが、自分の家の建設のために、ウィーンの有名な建築家をŠumperkに招待したことです。一番大切な建物の中の一つは19世紀の終わりに建てられた町の図書館です。もともとは個人の屋敷でしたが、1970年に図書館になりました。

町の図書館

他の大切な建物はVila Dorisという屋敷です。図書館と同じ時期に建てられました。1945年の後公立になって、現在は主に子供と若者たちのために利用されています。その目的で、1955年に夏の劇場も設立されたのです。

Vila Doris

面白い点は、Šumperkと関係がある有名人が二人います。一人目は五輪のスキーの選手のAles Valentaです。彼は1973年にŠumperkで生まれました。まず、1998年に長野における冬のオリンピックで4位になって、ソルト・レイク・シティーで行われた2002年の冬のオリンピックで金メダルを取りました。2007の5月に健康の問題のため、プロ・スポーツマンとしての生活を辞めました。

Aleš Valenta
二人目はJan Zajicです。 Jan Zajíc はŠumperkの工業高校を卒業しました。1969年の2月にJan Palachと同じようにソ連の占領に抗議して、プラハのヴァーツラフ広場で焼身自殺しました。

Jan Zajíc

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私の街 Šumperk」への1件のフィードバック

  1. 私の町もクロスカントリースキーが盛んです。ちなみにご存じか判りませんが、サッカー選手の柴崎岳(シバサキ ガク)は私の近所です。

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