スラブ叙事詩 06~10

6. シュテパーン・ドゥシャン・セルビアのツァーを東ローマ帝国への即位式 1923年、405×480cm
Korunivace cara srbského Štěpána Dušana na cara východořímského
カトカ ローロヴァー
6カトカこの絵画は卵テンペラが使われ、1923年のイースター日曜日に完成された作品である。その寸法は405 x 480センチメートルである。絵画の主題になっているシュテパーン・ドゥシャンは偉大な大将であり、ビザンティウム帝国が倒れた後、1346年にセルビアとギリシャのツァーになった。即位式はスコピエにある聖マルコ聖堂で行われた。
ツァーと彼の随行員が絵の真ん中に描かれている。彼の前に若い女性と老いた男性の集団がいる。老いた男性は重要なツァーの刀と王冠を持ち歩いている。そして、民族服装を着た女性は花を持ち、木の枝を振っている。老いた男性の前に若い女性が前に置かれた理由は、若者のほうが良い未来の象徴だからだろう。
第2番目の絵画と比較すれば、この絵のほうが明るい。確かに、2番目の絵画に暗い出来事を予想したのと違い、こちらはスラブの明るい将来(歴史)を予測できるからだろう。絵画からは、勝利の雰囲気が強く漂っていると思う。この絵を見ると、もしかして戦に勝利した後ではないかと感じられる。それはミュシャがうまく私たちに歴史を感じさせようとしているように思われる。

明るさを伝えそうとする絵画がゆえに、色も明るいことにすぐ気づく。絵に命を吹き込むのは描かれた風である。この風によって旗や木の枝の葉などが堂々と翻っている。ツァー行列の構図はよくまとまっている。これ全部でなんだか祝典の雰囲気を感じることができる。スラブ叙事詩の中では、このような楽観的な構図は少し珍しいのではないかとも考えた。
次に、ツァードッシャンの姿はどうしてそんなに小さく描かれたのかという感想を持った。ツァーより、ずっと前にいる若い女子のほうが大きくて明るく見えるのである。ミュシャはそれで何を伝えたかったのか。将来は元首ではなく、若い世代に託されているからか。それについても議論の余地がある。違う解釈がある人はきっといるだろう。
気持ちの響きに関しては、この絵画と快く遊ぶことができた。そして、どのくらい見ても絵が発する息吹に飽きることがない。他の絵画も含めて、このスラブ歴史絵画サイクルを作ったミュシャは本当の芸術の天才と認めざるを得ない。彼のアールヌーヴォーの女優のポスターも、四季サイクルも、全部の作品が憧れがいがある作品である。

7. クロミエジーシュ市のヤン・ミリーチュ 1916年、620×405cm
Milíč z Kroměříže
マテイ・ヴルボウスキー

7マテイ14世紀後半のプラハに、「ヤン・ミリーチュ」という有名な説教者・禁欲主義者が活躍していたと言われています。ミリーチュはとても賢明で、キリスト教に関して本を幾つか書きましたが、実は有名になった理由はこれだけではなく、ある珍しい出来事に繋がっているのです。アルフォンス・ミュシャによって描かれた名作「スラブ叙事詩」の第7枚目、または「言葉の力」というトリプティックの第一枚目の「クロミエジーシュ市のヤン・ミリーチュ」はこの出来事を中心にしています。

まず、絵画の描いた場面と時期から始めましょう。前にも書いたとおり、ミリーチュは14世紀後半に活躍していたので、時期をその時に当てても良いでしょう。背景からすれば、場所は恐らく当時のプラハの旧市街と推測できます。絵画の登場人物は、足場の頂上に立っているヤン・ミリーチュと彼の説教を聴いている周りの女性たちです。次に、この絵が何を意味するのかについて書きたいと思います。序論にも書きましたが、ミリーチュはある出来事でチェコの歴史で目立つようになりました。それが何かといえば、なんと当時のプラハの悪名高い遊郭の売春宿を修道院にして、売春婦たちを改宗したと言われています。足場の上に立って説教するミリーチュのささやかで、乱れた青い服装、そして長いひげが禁欲主義者の強調と思っても良いでしょう。また、ミリーチュの説教を聴いている女性たちの白い、あるいは青い服装が、売春婦としての過去を跡にして、修道女として蘇ったという象徴が見えます。

ですが、女性たちは皆白か青い服を着ているのではありません。絵画をよく見れば、足場の下に、赤い服装の女性が一人います。「無罪」の白ではなく、「有罪」を象徴している赤い服なので、修道女に対して彼女が改宗していないと思われます。それから、悪口や噂話を言うかもしれないから、余計な話をさせないため、猿轡をはめられています。まとめれば、この絵には、聖なる人が人生に迷っていた女性を救うという、宗教に関するモチーフがあります。「言葉の力」で人が救えることが可能であるという考えが含まれているでしょう。

参考文章 http://www.muchafoundation.org/gallery/browse-works/object/218

8. タンネンベルクの戦いの後 1924年、405×610cm
Po bitvě u Grunwaldu
ヴィレーム フルーゼク

8ヴィレーム1410年7月15日に激しい戦いが起こった。ポーランド王国・リトアニア大公国連合軍がドイツ騎士団を破った。このタンネンベルクの戦いはスラブ民族の大勝利になった。アルフォンス・ミュシャはスラブ叙事詩の一部を通して、この戦闘の後の情景を生き生きと描写した。
この1924年に描かれた壮大な絵のテーマとして北スラブの相互主義を選んだ。絵の真ん中に立っている人物はポーランド王ヴワディスワフ2世である。ヴワディスワフは丘の頂上に立ち、亡くなったドイツ騎士やスラブの兵士たちに哀悼の意を表している。大勝利なのにミュシャはヴワディスワフの手振りで残念な気持ちを伝えた。騎士の白いマントルが地面を覆っていて、スラブ側の戦士も戦った戦闘の記憶として残っている。これが絵の特徴である。チェコの傭兵たちもヴワディスワフの左後ろ側で戦場をじっと眺めている。皆は大変悲しそうに見える。この絵を長い時間を見ていると確かに戦争は本当に苦しいことだという印象を受けるだろう。

これからスラブ人としてこの絵を見た時、私がどんな気持ちを持ったかについて紹介したいと思う。私は初めてミュシャのスラブ叙事詩を見て、タンネンベルクの戦いの後の情景に深く感動させられた。絵の冷たい色が悲劇のような印象を与えている。この絵を見ると、戦いの恐ろしさについて考えざるを得ない。クリスチャンがクリスチャンを殺すのは本当に悲しいことであるから、勝利を収めなければならなかった。スラブ民族の大勝利は楽しいことではなかった。スラブ民族の最大の敵が破れられたのに、だれも勝利を祝わない。絵の色は冷たいうえに、右側の方がかなり暗いから、悲しい印象を増強する。人間のみならず、動物も勝利のために命を失った背景が戦争の恐ろしさを強調する。ミュシャの一番大事なメッセージは平和共存へのアピールだと思う。
苦しい場面に対して、スラブ人の相互愛が感じられる。一緒にポーランド軍のために亡くなった様々な戦士を見ると、相手を支えることが大事だという気持ちを持つようになった。ミュシャはこのような協同を忘れないようにこの絵を描いたと思う。本当にミュシャのスラブ叙事詩は、様々な面からスラブ人にとって大事な遺産であると思われる。

9. ベツレヘム礼拝堂でのヤン・フスの説教 1916年、610×810cm
Kázání Husovo v kapli Betlémské
フィリップ コテク

9フィリップヤン・フスはチェコ人の先覚者の神父であり、当時のカトリック教会における道義の頽廃を著しく批判して、宗教改革運動を進めました。ヤン・フスはカトリック教会の異端審問によって1415年に火刑に処せられたことでも知られています。ヤン・フスがカトリック教会はどのような道を歩むべきかと説教したのはベツレヘム礼拝堂に代表されるプラハの主要な教会でした。そこには教会改革を求める者が集まってヤン・フスの演説を聞きました。アルフォンス・ミュシャが描いた「スラブ叙事詩」の9枚目の絵画がまさにその場面を描写しています。「言葉の魔法」という三連祭壇画の真ん中にヤン・フスを収めることによって、チェコ人にとってヤン・フスがどれぐらい重要な人物であったのかを明らかに示します。

絵画が祭壇から展開して、ヤン・フスが台の上に立って、集まってきた観衆を見渡しています。アルフォンス・ミュシャはフスが1412年にベツレヘム礼拝堂において熱心な演説をするところを描写しました。教会での厳かな雰囲気は淡い色彩の使用によって強調されて、鮮やかな色がめったに見られません。それはミュシャが当時の乱れた世界の暗い社会的な色彩をその色づかいによって表したように思われます。当時のカトリック教会の道義、換言すると様々な罪を犯した人がそれを取り除くメカニズムが一般的に批判されて、多くの人が迫害され、戦争の脅迫もありました。ミュシャの絵を見たとき、その事情が表わされているのではないかと私は思いました。戦争の雲がチェコの国を覆うかのように、礼拝堂の天井が暗く描かれていて、望みを意味する灯台からの光が仄かで、消えそうな感じがします。
フスの説教を注意深く聴いている人たちの中で、絵画の最も暗い左の片隅に集っている神父たちが顔を伏せながら、反省しているような印象を与えます。その一方、教会改革を求めて、耳を傾いている庶民や必死に覚え書きをする学者たちからはもっと暖かい雰囲気が醸し出されています。社会的な頽廃はまだ救えることを意味していると想像してもいいでしょう。

最後に、この絵画のもっとも注目を引くところに集中したいです。右側に座っているジョフィエ皇后のお手伝いたちの中で一人が明らかに目立ちます。目立つのは顔です。それはミュシャの特徴の一つだと私が思います。スラブ叙事詩の約6枚の絵画では見ている人に瞳を凝らすかのような顔をする人物が描いています。この絵の女性の場合も同様です。

10. クジージュキの集会について 1916年、620×405cm
Schůzka na Křížkách
ヤロシュ イルカ

10ヤロシュ「クジージュキの集会」はスラブ叙事詩において、「言葉の魔術」というテーマで描かれた三枚の祭壇画の一枚である。1916年に作られ、テンペラ絵具と油絵具で描かれた。この画の幅は405センチであり、高さは620センチだ。
フス焚刑後、フス派の急進派がより活発になり、そのリーダーはヴァーツラフ・コランダとなった。急進派は教会が貧しくあるべきだという前提で、教会の中ではなく、屋外説教を行うようになった。この絵画には、このような宗教的な山での屋外集会が描かれている。正確に言うと、1419年9月30日、ベネショフ近郊のクジージュキで開かれた集会だ。ヴァーツラフ・コランダは説教壇を象徴している高いところに置かれた板に立ち、フス派信仰者に話しかけている。

この絵画を最初に見た時、まずとてつもない迫力に圧倒されました。これほどに大きい絵画を見たことがありませんでしたので、本当にびっくりしました。大きいから大雑把だと思ってしまう方がいるかもしれませんが、実はそうではありません。
近くに行って見ますと、それぞれの部分に何かがきめ細かく描いてあります。たとえば左下には、子供を担いでいる女の人に男の人が方向を指していることがわかります。焚き火のある場所を指し、あたかも「疲れただろう、そこで休んで温かいスープでも飲め」と言っているような感じです。その左上にコランダのたくましい姿が描かれています。素朴な羽衣のような衣服を着ており、集会所に来ているチェコ人たちにこれから何を言おうかと考えながら、下を見渡しています。この部分から、尊厳と真剣な緊張が生々しく伝わってきます。
絵の中心に明るい日差しがとどまり、ポジティブな雰囲気を放っています。また、この明るい部分が白い旗まで続き、新しい未来への方向を示す矢印であるかのように明朗な感じがしてきます。これに対比している暗い空が一番上の部分にあります。これから起こるフス信者たちの暴動の兆しだろうか。早朝の雲を稲妻が走っています。これは、これから来る国の嵐を象徴しているかもしれません。雲を背後にしている血の色の旗も悲観的なムードをかもし出しています。
暖色によって絵画全体からとても暖かい印象が残りました。また、前の部分から感じる緊張も会場の照明のおかげで、だんだん染められてくるような感じを引き起こします。この絵画はチェコで起ころうとしていた宗教的な革命の前兆を忠実に描いていると思います。