地域ツアー・Strašnice(ストラシニツェ)のヴィラ

ストラシニツェは現在プラハ10区の一部で、地下鉄で町の中心まで15分ぐらいかかる。隣に「Vršovice」,「Vinohrady」,「Žižkov」などの町名(地区)がある。「Strašnice」という名前の意味は「strašidlo」-「お化け」,または「strach」-「恐ろしさ」である。なぜそのような名前があるかというと、様々な考えがあるが、一つは、昔、多くの池があったが、その池の周りに道が歩きにくく、お化けがいると言われたからだ。現在、池はもうないが、「V Rybníčkách」-「池の間」という通りや学校など、名前だけ残っている。

昔はプラハの一部ではなく、田舎であった。20世紀の始まりぐらいにプラハで最初のヴィラが建てられ、プラハ人が住み始めた。

ストラシニツェのヴィラ

この地域のヴィラはプラハで一番古く、アール・ヌーヴォー風からモダニズム風までのヴィラが多く見られる。たいてい20世紀の20年代に建てられた。 プラハ人が普通に住んでいる。

1.アール・ヌーヴォーのヴィラ

修復されたアール・ヌーヴォーのヴィラである。アール・ヌーヴォーは主に絵画の美術運動として知られているが、建築形式にも多くある。アール・ヌーヴォー の独特は植物のオーナメント、装飾(そうしょく)、曲線などである。

2. 「Růža」というアール・ヌーヴォーのヴィラ

切妻屋根の妻壁側に「Růža」という文字が書いてある。「Růža」はもともと女性の名前で、意味は「バラの花」だ。ヴィラに名前を付けるのは流行だった。典型的なバラが赤、またはピンクの色であるように、ヴィラの色もピンク・赤である。

3. キュビスム風の建物

3番はヴィラではなく、30年代ぐらいのマンションで、建築はキュビスム風だ。キュビスムといったら、すぐパブロ・ピカソの絵画が思い浮かべるかもしれない。キュビスムは幾何学的な形を多く利用している。絵画には多くあったが、建築にはあまり見られない。しかし、チェコの建築にはよくある。プラハの中心にある「Dům u Černé Matky Boží」は代表的なキュビスムの建物である。

4 . Trmalova vila トルマロヴァ・ヴィラ

トルマロヴァ・ヴィラはStrašniceで一番有名な建物とみなされている。現在は普通に住むための建物ではない。

トルマロヴァとは「Trmal」という最初の持ち主「František Trmal」の名前である。現代のオーナーはプラハ10区であり、内部の見学もできる。

1903年に建てられた。建てられた時、周りには田畑しかなかった。建築家は「Jan Kotěra」「ヤン・コテラ」というチェコの建築家だった。コテラの建築された建物がモダンな設備と田舎の懐かしさを繋ぎ、このような建物になった。中には20年代の始めとしては斬新なトイレや浴室などがあり、一方、外には様々な田舎っぽいものがある。例えば、木で作られた部分や、花のオーナメントなどである。フェンスの部分がハートの形をしている。それも田舎っぽいもののひとつである。

妻壁側には「Hosta chlebem, solí, nezdvořáka holí」という文字が見られる。直接訳すると、 「訪問者にパンや塩を、荒い人に棒を」となる。意味は「来てくれる人をお客さんとして扱うけれども、もしその人が無礼者だったら、棒で追い出す 」という意味である。昔、チェコの田舎では、訪問者が来たら、最初にパンや塩ごちそうする習慣があった。

一階には台所、ダイニングホールや、サロン、家政婦の部屋があり、二階には子供の部屋と寝室があった。

博物館としての営業時間は火曜日から金曜日までで、午後2時から4時までとなる。一年中展覧会などがあり、また、結婚式やパーティーのために予約できる。

チェコの面白いお城

アナ・ファイクソヴァー

チェコの歴史の代表的な建物のタイプといえば、すぐお城をイメージします。堅固な城でも、古い廃墟でも、立派なシャトーでも、チェコではあちこちにお城があります。この記事では、その大きい数の中から五つを選んで、紹介します。五つだけを選ぶのはちょっと残念ですが、全部の面白いお城について書いたら、この話は少し長すぎるでしょう。

この五つの城は私の好きな城です。トップファイブではなく、順番は私の今の気分によって決めました。

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でもまず、お城とシャトーとの違いを説明した方がいいと思います。「お城」という建物の重要な機能は防御です。たいてい、丘の上に建てられています。「シャトー」は主に貴族の屋敷です。ほとんどのシャトーは町に建てられていて、広い庭、または公園があります。それにシャトーはお城より新しい建物です。

さて、この五つの中で最初にご紹介するのはPernštejn「ぺルンシテイン」です。このモラヴィアにある大きい城はプラハから190キロぐらい離れています。

Pernštejnの最も面白いことはその古そうな外観です。Pernštejnにいって、その狭い廊下を歩いたり、古い木材のにおいをかぐと、いつも過去に落ちた感じがします。

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OLYMPUS DIGITAL CAMERAより

二番目はRabí「ラビー」です。南ボヘミアのSušice 「スシツェ」という町の近くにあります。プラハから約150キロです。

Rabíはボヘミアの一番広いお城の廃墟です。14世紀に丘の上に建てられましたが、18世紀に火事で焼失しました。今はもう堅固なお城ではありませんが、遺跡でも、その姿の昔の丈夫さがはっきりみえます。

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次は、プラハから100キロ離れたŽleby 「ジュレビ」という美しいシャトーの話です。

昔のチェコの貴族はたいていみんなドイツ人でした。1946年のベネシュ布告によって、過半数の貴族たちのシャトーは政府に没収されました。でもそのまえに、貴族たちは急いで、ドイツに引っ越しし、シャトーの家具、芸術作品などを持っていきました。そのせいで、たくさんのチェコのお城はちょっと空っぽです。但し、Žlebyは別です。

Žlebyの最も面白いところはその内部です。このシャトーの部屋のなかには家具や飾りが本当に豊かです。そしてそれに、シャトーの周りに静かな公園があります。疲れているなら、そこで休むのは気持ちいいです。

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最後に、二つの面白いお城、シャトーを比べてみます。その二つはČervená Lhota「チェルヴェナー・ルホタ」とHouska「ホウスカ」です。両方は小さくて、ルネッサンス風の建物です。

Červená Lhotaはプラハから南にあって、水に囲まれた、おとぎ話っぽいシャトーです。色々なおとぎ話の映画はここで撮影されました、たとえば、チェコで有名なZlatovláska、(日本語で「金髪のお姫様」)もその一つです。

その一方、Houskaはプラハの北にあり、森に囲まれた、ホラーっぽいお城です。どうしてホラーっぽいのでしょうか。

城のチャペルの下は地獄の入り口だといわれています。その上、Houskaでは、様々な超常現象が起こるそうです。たとえば、城に入ったら、頭が痛くなるとか、チャペルの写真がぼやけてみえるとか、そんなものです。私がHouskaを訪ねたときは、幸いに何も起こりませんでした。ただ、中庭にピンク色の大きな脳が展示されていました。本当に変わっているでしょう。

もし、チェコに旅行しに来たら、この五つ以外でもぜひチェコのお城を見に行ってください。

Říčany

アダム・ノヘイル

Říčanyはプラハに近い人口約1万5千人の街だ。最近、こういう街はよくŘíčanyも含めて「衛星都市」と呼ばれている。だが、実際の衛星都市と違って、Říčanyは自分の歴史と雰囲気がある。

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13世紀にOndřej ze Všechromという貴族がŘíčanyのお城を建てて、おそらく街も建設した。それでその家族は「z Říčan」と呼ばれてきた。その「pánové z Říčan」というŘíčanyの貴族のおかげで、Říčanyは栄えている街になってきた。しかし15世紀にフス派の戦争の時代の間にŘíčanyのお城が火事にあった。その後、お城の周りに住んでいる人はお城の石を使って自分の家を建てた。このようにお城の壁が段々なくなっていた。現在、お城の丘には壁が二つしか残っていないものの、街中の近くて、美しい平和なところである。三十年戦争の間に街は破壊されて、その後再建された。

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現在のŘíčanyにとって大切な時代は第1次と第2次世界大戦の間の時代であった。そのとき、街はもう一度栄えて、家と建物がたくさん建てられた。特に多くの裕福な家族がŘíčanyにすてきな別荘を建てた。この伝統は続き、第2次世界大戦の後も、プラハより静かなところに住みたい人はよくŘíčanyを選んだ。今でも、他のプラハの周りの街と比べてきれいな庭のある家が多くて、高層ビルがほとんどない。

私はプラハで生まれたが、祖父と祖母はŘíčanyに住んでいて、私は小さい子供の頃からŘíčanyに行っていた。その時、友達と外で遊んだり、夏に自転車に乗ったり、冬にそりに乗ったりして、すばらしい学校の休みだった。祖母と祖父と一緒に庭で働くことも好きになった。そういうことは子供がプラハでできない。いい子供の時の思い出だけという訳ではない。今Říčanyに住んでいる理由は同じようだ。街のどこへも自転車で行くことができるし、きれいな自然も近くにあるし、静かで美しい街なことだ。映画館、屋内プール、商店街、たくさんのレストランなどもあることだ。更に、プラハの中心まで電車で27分しかかからない。

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Josef Ladaというチェコの有名な画家はŘíčanskoの周りのきれいな景色と絵のような村からインスピレーションを得たので、この地方は「ラダの地方」と呼ばれている。ハイキング道もサイクルルートも多いので、Říčanyからラダの地方にいい小旅行に行くことができる。それでにぎやかなプラハにいったら、気分転換にぜひŘíčanyにも行ってみて下さい!

大体の発音

Říčany                              ジーチャニ

Ondřej ze Všechrom        オンジェイ・ゼ・フシェフロム

duchmaus_lyrics

1.

森の覆われた小山の地下で

石の宝物は大地に属す

邪気デゥフマウスは山の宝を守っていた

人間どもは岩を掘っていて、石を欲しがっている

 

R;銀の町の邪気デゥフマウス

鉱夫の具を隠していた

銀の町の邪気デゥフマウス

鉱山に出でて消える

 

銀の町の邪気デゥフマウス

大地の王国を守っている

銀の町の邪気デゥフマウス

濡れている地下に住みかがあるんだ

 

2.

怒っていても許可する

鉱夫は山の奥を掘っている

時間がかかっても人は満足して出て来ると邪気が希望している

そうでないと永遠に憑かなければならない

 

R.

 

3.

人間どもは持てないはず物を欲しがっている

ストルジーブロの町が広がっている、塁壁が強がっている

低い姿は鉱山に出てくる

毎日鉱夫たちにその影が見られている

ルサルカ

その歌劇の話ではヴォドゥニークの娘ルサルカは人の王子を好きになって彼のために魔女の力で人間になります。ただし、もし王子の愛がなくなったら、ルサルカはブルディチュカ「BLUDIČKA」というお化けになってしまいます。ある日、王子の城に外国の王女が訪ねにきました。王子はその王女に惚れてしまいました。ルサルカは父の湖にブルディチュカとして戻りました。失恋させた王子を殺すと元の姿に戻れますが、ルサルカは王子のことまだ愛しているので、それをできません。その後王女にふられた王子はルサルカを探しますがルサルカが近づかないように王子に注文します。ブルディチュカの姿をしているルサルカとキスしたら王子が死ぬからです。それでも王子がルサルカにキスをして死んでしまいます。ルサルカは王子の血を流さなかったため一生ブルディチュカのまま過ごさなければなりません。