スラブ叙事詩 16~20

16. ヤン・アーモス・コメンスキー 1918年、405×620cm
Jan Amos Komenský
ルチエ ブラスコヴァー
16ルチエアルフォンス・ミュシャはアール・ヌーヴォーを代表する画家であった。チェコ出身のアーティストなのに、パリで最も有名になった。ミュシャは 1900 年、パリ万博の頃からすでに叙事詩の構想を持っていた。それから家族とともに長きに及んだフランス滞在からチェコへ戻り、ズビロフ城で最初のキャンバスを描きはじめた。作品は 18 年にも渡って描かれた。 そして「スラブ叙事詩」と名付けられ、ミュシャはこの作品をチェコ民族に捧げた。現在、スラブ叙事詩はプラハのヴェレトルジュニー宮殿に展示されている。
スラブ叙事詩はミュシャにとって生涯の歴史画シリーズにあたる。大作 20点からなるスラブ叙事詩の中で、ミュシャにとってたぶん一番重要な作品はヤン・アーモス・コメンスキーであった。なぜならスラブ叙事詩の作品の中で署名されている絵はこれだけであり、ミュシャはコメンスキーに感心していたからである。コメンスキーはよく民族の教師と呼ばれている。しかし学校教育だけでなく、コメンスキーは 出産前の母親教育から 死と向き合うための高齢者の心の準備まで生涯にわたる教育全般を体系的に論じた。世界で最初の子どものための絵入り百科事典「世界図絵」や 「大教授法」 などの著書でも知られている。

絵は1918年に描かれ、寸法は縦405センチ、横620センチである。ミュシャはこの世界でコメンスキーの最後の瞬間を描いた。コメンスキーは亡命先のナールデン、オランダの海岸で祖国を思いながら終わりの時を迎えようとしている。灰色の海と空が孤独と孤立を強調している。たぶん夜に嵐が来そうだと考えている。左側にコメンスキーの近づいている死を悲しむ信奉者が立っている。特にひざまずいて泣いている女と悼みながら立っている男が注目を集めている。真ん中にある小さな提灯から来る炎は、より良い明日のスラブ祖国への希望を暗示している。右側に停泊中の船が遠くから不鮮明に見える。他には何もない。しかしこの虚しさそこが絵の魅力だと思う。
コメンスキーが写っている絵を最初に見たときから忘れられない。大変感動的な光景だと思う。長い時間この絵を見ているうちに涙を覚えた。なぜならコメンスキーの孤独と信奉者の悲しさがよく表れているからだ。
生涯を一貫するミュシャのメッセージは私たち皆が、全人類が親しくなるという希望を抱かねばならないということだと思う。自分がスラブ民族の一員であることを誇らしく感じるということも確かに伝わっている。やはり、スラブ叙事詩はミュシャのライフワークとして位置づけることができる。

17. 聖アトス山(正教会のヴァチカン)
Mont Athos (Svatá hora, Vatikán pravoslavných) 1926年、405×480cm
シモン タマキ
17シモンギリシャの東北に3つの岬のあるハルキディキ半島があり、その東端に2033mのアトス山がそびえ立っている。ギリシャでは主に東方正教が広まっているが、アトス山はギリシャの正教会の重要な場所であって、正教会のヴァチカンとも言われる。独立した修道院共和国でもあるが、そこにいくつかの修道院が建てられ、アトス山はこれら修道院の一つで、 その教会は聖母マリアに捧げられた。

ミュシャは画を作り始める前に、1924年に実際に入山し、古い神聖な雰囲気に強い印象を受けた。画面では、聖母マリア教会の内部が描かれていて、その中心に聖母マリアのモザイクが描かれている。彼女はこの教会を訪れるすべての巡礼者を祝福している。ミュシャはこの画を最初の三つの画と同じように、画面を二つの層に分けている。一つは修道院を訪れる人々の姿の実際的な層で、もう一つはその上に浮かんでいるケルビムたちと天使たちの姿の象徴的な場面である。 モザイクの下で、正教の神父や修道僧が聖者たちの遺物を捧げもち、口づけするよう巡礼者たちにそれを差し出している。
陽光が右手から教会内に差し込み、その光の中でケルビムたちの姿が、上に登ってゆく。彼らが手にしているのは、この地域の他の主な修道院である。これら修道院の名前はキリル文字で記され、ケルビムたちの後には、これら修道院の4人の院長の姿が見える。

この画はスラブ叙事詩の中で他の画ほど大きくないが、その穏やかな神聖な雰囲気と外から中に差している日光が気に入った。構図もとてもうまくできていると思う。
ミュシャがアトス山の教会をこの絵に描いた理由は、またスラブ民族の宗教的な源とそこに基づくスラブ民族の統一を表すためだろうが、それらの背景が分からなくても、これらの展示を観る価値があると思う。

18. スラブ菩提樹の下で宣誓する青年たち: スラブ民族の目覚め 1926年、390×590cm
Přísaha omaladiny u slovanské lípy
テレザ ステイスカロヴァー
18テレザこの作品はヤーン・コラールというスロバキア人の叙情詩のソネット「Slávaの娘」に基づき、二つ重要な主題が描かれている。ソネットと同じように、この絵画でも菩提樹はスラブ人の木という意味があり、スラブィアはスラブ人の神になるものを表現している。ミュシャはこの絵で19世紀のスラブ人の共通目標とするスラブ国を作ることを描いている。スラブ菩提樹の下でスラブィアに青年たちが宣誓をしている。宣誓する青年たちは男性だけであり、絵の中にいる女性たちが宣誓をただ見ている。宣誓する青年たちの顔が描かれていないのでこの絵は未完成と言われる。その青年たちの宣誓が絵の中心になり、金色で強調されている。絵の前景に描かれている小さい塀に座っている少女がスラブ叙事詩展ポスターに使われた。ハーフを奏でる少女が音楽のアレゴリーを表現している。

スラブ叙事詩のパンフレットで「スラブ菩提樹の下で宣誓する青年たち」という小さい絵を見たとき面白いと思った。しかし、スラブ叙事詩展の際にその絵を見て、失望した。リアルな絵の色と雰囲気がそのパンフレットの小さい絵と違い、リアルな絵はあまり感動しなかった。絵の中心、青年たちの宣誓とスラブ菩提樹に座っているスラブィアを見て、どういう意味なの?と自分に問い直し、パンフレットなどに書かれていた趣旨だと思わなかった。大きい油絵なのに見る者に影響を与えていないと思った。

19. ロシアでの農奴制廃止 1914年、610×810cm
Zrušení nevolnictví na Rusi
アナスタシア ジャルコーワ
19アナスタシアこの絵は1861年に出された農奴解放令をもとにしている。19世紀半のロシアはヨーロッパより衰退していた。1856年のクリミア戦争における敗北によって近代化の必要性を痛感した皇帝アレクサンドル二世が、政治改革を行ってロシアにおける農奴制を廃止した。これにより地方の民衆はある程度の自由を得て、ロシアにおける新たな産業発展への道を拓いた。

この絵は、1913年にミュシャがロシアへ旅行の後で描いたものだ。本来は1861年の産業改革の称賛を提示しようとしていたが、作者はロシア民衆の情けない生活を見て、絵の気分と色彩を変更した。
この6×8メートルの大きい絵には、画面はモスクワの聖ワシリイ大聖堂とクレムリン前の赤の広場の寒い2月の朝を表している。右手では新しい法令を宣言した役人たちが帰り際で、黒い小斑点に見える。クレムリン前の赤の広場は市民や農民であふれている。人々は帰らずためらっていて、農奴制廃止が何をもたらすかをまだ理解できず、それは彼らの顔からもうかがえる。空には濃い霧が立ちこめているから、聖ワシリイ大聖堂はあまり見えなくて、外形だけ見える。逆に、聖ワシリイ大聖堂の前の人々は具体的に描写されている。それぞれの人の瞬間的な姿勢や表情は写真のように描かれている。例えば、前景にわらの上に座っていて、子供を胸に抱きしめている女の顔を見て、何を考えているだろうかとふと思った。たぶん農奴制廃止ということの意味あまり分からなく、自分の人生、子供、家庭について不安に考えている。この絵に描かれたロシア民衆の顔をそれぞれ熟視しながら、ミュシャはスラブ人であるロシア人の特徴をよく伝えたような気がした。すなわち、陰気、困難なときや不幸なときの忍耐強さとしっかりした精神などに代表的されると考えられるロシア人の精神である。
聖ワシリイ大聖堂の後景に、濃い霧が立ちこめている空に最初の陽光が見える。たぶん来るべき自由とより良い生活の希望の曙光の象徴かもしれない。

20. スラブ賛歌:4つの色で示されるスラブ民族の4つの時代 1926年、480×405cm
Apoteoza Slovanstvo pro lidstvo!
テレザ ステイスカロヴァー
20テレザ20番目の絵は「スラブ賛歌:4つの色で示されるスラブ民族の4つの時代」という絵である。1番目の絵と同じ年に描かれた絵である。スラブ叙事詩の最後一枚であり、全部のシリーズを要約する作品である。この絵はスラブ人の戦勝の様子を視覚的に描いている。ミュシャはスラブ民族の4つの時代を描くのに4色を使っている。絵の右下の青色はスラブ人の神話初期の時代を表現している。絵の左上の赤色はフス戦争の時代を描いている。絵の左真中にいるのはスラブ人の敵である。それで、黄色で描かれた姿はスラブ人の1918年の解放を表現する姿である。絵の中心となるのは印象的なスラブ人であり、伸ばした手で自由と調和の花輪を持っている。スラブ人の上昇に絵の後ろからイエスが祝福している。

一見したところ、「スラブ賛歌」という絵は私に感動を与えた。絵の中心に立っている印象的なスラブ人や、ミュシャが故意に色を使うところなどがすばらしい。しかし、もう一回か二回絵を見て、絵について少し考えみると、そんなに興味深い絵だと思わなくなった。ミュシャはこの絵にスラブ叙事詩の20枚を要約したかったと言われる。それは理解できるが、そんなに上手じゃない絵だという感じがする。

スラブ叙事詩を見終ったとき、チェコ人としてこの展覧会を見るべきだと思った。ミュシャは有名な画家で、チェコ人とスラブの歴史を自分の絵で描いているから。しかし、展覧会の印象はそんなに興味深い絵を見つけることはできなかった。ミュシャはスラブ叙事詩を描いたとき、チェコ人とスラブを誇りにしていた。その連作を見ると誇りのような感じが伝わってくるが、ミュシャの伝え方はあまり理解できない。それは、私が他の時代に生きているからではないだろうか。