ズブラスラブ ・ Zbraslav

マルケータ・ノヴォトナー

チェコの首都プラハには様々な名所があります。しかし、観光客で込んでいる中心ばかりでなく、プラハの郊外にも歴史的に豊かな場所を見つけられます。それは、たぶんカレル橋ほど有名ではないかもしれませんが、お城とか教会とか、色々な建築だけでなく、プラハの中心にない自然を楽しめる機会があります。

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ズブラスラブ (Prazak,19.8. 2007)

ズブラスラブとは歴史的に豊かな場所の一つだと言えます。現代ではもうプラハの南の郊外の区になっていますが、かつてのズブラスラブは独立した町でした。人口の1万人に過ぎないズブラスラブはあまり大きな街ではなく、プラハの中心と比べて、散歩するところはあまり多くないかもしせませんが、ズブラスラブの歴史は豊かで、様々な名所や面白いところがあります。

ズブラスラブの北部 (ŠJů,3.4. 2010)

ズブラスラブの北部 (ŠJů,3.4. 2010)

ズブラスラブの誕生に伴う伝説もあり、現在ある記録によると、ズブラスラブが作られたのは1115年だと言えます。13世紀にチェコのプシェミスル朝(Přemyslovci)のヴァーツラフ2世王(Václav II.)にズブラスラブのシトー会の修道院がズブラスラブに設立されました。この修道院は建築的に貴重な修道院として認められてるのはもちろん、チェコのプシェミスル朝の王と女王の墓もありました。

ズブラスラブ史のヴァーツラフ2世王

ズブラスラブ史のヴァーツラフ2世王

18世紀のズブラスラブの修道院

18世紀のズブラスラブの修道院

しかし、修道院は15世紀のフス戦争でも、17世紀の戦争でも荒らされて、全部を再建する資金がなくなってしまいました。それでも、18世紀に修道院の建物は貴重なバロックの建築になりました。20世紀にツィリル・バルトニュ・ズ・ドベニーナ(Cyril Bartoň z Dobenína)という貴族によって再建されて私立シャトーになりました。

2013年のズブラスラブシャトー

2013年のズブラスラブシャトー

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ズブラスラブシャトーの公園

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ズブラスラブシャトーの境内にある聖ヤクブの教会

現代ではズブラスラブシャトーの境内にある聖ヤクブの教会にプシェミスル朝の最後の女王のエリシュカ(Eliška Přemyslovna)の遺骨が保存されています。

プシェミスル朝のエリシュカ女王の墓

プシェミスル朝のエリシュカ女王の墓

エリシュカ女王を偲んで、毎年プラハでエリシュカ女王の祭が行われています。この祭りはエリシュカ女王が死亡した9月28日から聖ハヴェル日の10月16日まで、プラハのヴィシェフラデュやズブラスラブでも行われています。祭りの部分は三つあり、私たちもコンサートや講義や他の活動に参加できます。ズブラスラブでは、ルネッサンスのオルガンのコンサートや特に子供が好きな歴史的なパレードや歴史的な剣術のグループのトーナメントなどが行われています。

また、ズブラスラブといえば中世の歴史ばかりでなく、近代的な歴史に関係もあります。例えば、「ビヤ樽ポルカ」という、全世界に広がった歌の作曲家はズブラスラブの人です。

ヤロミール・ヴェイヴォダ(Jaromír Vejvoda)は、作詞がないモドランスカー・ポルカ(Modřanská polka)という名前がついた歌を1927年に作りました。この歌は1934年に詞が作られて、シュコダ・ラースキ(Škoda lásky)という名前としてチェコで有名になりました。第二次大戦の様々な国の兵隊を通じて広がって、今では27カ言語のヴァージョンが見られます。

ヴェイヴォダを記念して、ヴェイヴォダが住んでいた建物にはシュコダ・ラースキという伝統的なチェコ料理のレストランがあります。特に夏の時、自転車旅行中にそこに寄って、冷たいビールを飲むのがおすすめです。

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ズブラスラブは小さい町かもしれませんが、歴史につながっている上、郊外にあるので、周りの林で美しい自然を楽しむこともできます。私の住んでいる町の短い紹介は以上です。プラハを観光する機会があったら、ぜひプラハの中心だけでなく、ズブラスラブなどの郊外に寄って、チェコの小さい町の雰囲気を楽しんでください。