王の道

ダヴィド・レザツキ

王の道は、元の王宮、現在のObecni dumからプラハ城の聖ヴィート大聖堂までつながっています。この道は1432年から1836年まで、王様になる王子や王位継承権を持っている人が歩んだ道でした。王様になる王子を王の行進が大聖堂まで連れていきました。

王の道1

王宮から出発してすぐ後、火薬塔を通ってCeletnáに進みました。昔、火薬塔は王宮を敵から守っていました。けれど後に火薬の倉庫として利用されて、火薬塔という名前が付けられました。

Celetnáを通って、旧市街広場に着きました。現在は広場にヤン・フスの像が見えます。ヤン・フスは貧しい人のための説教者で、王様や法王などに反対する教示を述べていました。そのため処刑されました。ですがヤン・フスの意志は引き継がれて、フス派の革命に至りました。

王の道2

旧市街で見える他の面白いものは天文時計です。毎時キリストの使徒の像が出ています。

旧市街から王の行進はKlementinum に移動していきます。Klementinum は知恵の宝庫であり、国立図書館、天文学、気象学といった科学と関係があることの中心でした。現在Klementinumには国立図書館があります。おかげで知恵の宝庫の名に載り続けています。

王の道3

そこから、王の行進はカレル橋を渡ります。カレル橋は1357年にカレル四世によって建てられました。橋には宗教的な像がいっぱいあって、一番有名なのはヤン・ネポムツキーの像です。うわさによると、彼は王様と議論して、責められて、橋から落とされました。何について、また、なぜけんかになったのかは不明です。今日では、ネポムツキーが落とされたといわれる場所に、皆が記念に触る小さい十字架があります。

王の道4

橋を渡った後で、王子とその王の行進が坂を登って、プラハ城の城門に着いて、大聖堂で戴冠式が行われました。大聖堂はヴァーツラブ一世によって建設されました。聖ヴィート大聖堂は国宝と前の王様、たとえばカレル4世やヴァーツラブ4世などの遺体を保存しています。

王の道5

王の道は、美しい建物や長い歴史を、一つの忘れられないドキドキさせる経験にまとめています。したがって、王の道は誰でもにできるお勧めです。いつかプラハに来たら、ぜひ見に行ってくれてください。

王の道」への1件のフィードバック

  1. 横浜在住の「プラハ好き」野爺さんです。王の道は何度も歩きました。何度歩いても、また行きたい道です。国立図書館はまだ入館していません。機会があったらまた行きたいです。そういえば、Vysehradのお墓で、とうとうMuchaの墓石を探し当てられませんでした。それが心残りです。
    これからよい季節ですね! 野の花の写真を送ってください。

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